ついに、錦州在住の日本人に帰国許可が出た。
難民生活は約二年に及んだが、ついに日本に帰れるのだ。
引揚げに関しては様々な規則があった。
引揚げ者一名について、持ち帰れる荷物はリュックサック一つのほかは
その他は手で持てるだけの荷物に限られ、
所持金はひとり千圓までと決められ、貴金属類は一切持ち出し禁止と
いうものであった。
ミノルは多くの財産を失うことになったが、
それでも日本に帰らねばならなかった。
荷物をまとめ、引揚げ港のあった葫蘆(コロ)島に赴く。
群集でごった返す港で、じっと乗船許可を待つヤスダ家。
しかし、波止場に並んでいるところに、
八路(パールー)軍の兵隊がやってきた。
「ヤスダミノルだな。お前を連行する。」
八路軍の兵隊に両腕を抱えられ、連れ去られるミノル。
「ハルヨ、心配するな。大丈夫だ、すぐ戻ってくる!」
ミノルはそのときも笑っていた。
残されたヤスダ家の3人は、ただ波止場に立ち尽くすしかなかった。
「ヤスダ、我々は全てを調べた。
お前は承徳の街で、日本軍の手先として我が人民を苦しめ、
搾取を行っただろう。これは許しがたい罪だぞ。
全てを話せば罪は軽くしてやる。おとなしく坦白(タンパイ)しろ!」
八路軍の将校はするどい眼差しでミノルを睨みつけた。
しかしミノルは少しも動じない。
「何を言う。俺はただの土建屋だ。
確かに中国人を使用人として雇ってはいたが、
彼らを苦しめたり、搾取した覚えはないぞ。
ちゃんと給金は払っていたし、メシだってそこいらの満人よりも
いいものを腹いっぱい喰わせてた。
そしてもちろん、満人を殺したり、いじめたりしたことも一度もないぞ。
君らは、それでも俺を犯罪人だと言うのか」
「確かに…、お前の使用人達はお前のことを悪くは言ってない。
だが、誰が何と言おうと、お前は日本軍の手先だ。
軍に取り入り、たんまり甘い汁を吸っただろう。
軍のために、橋を作ったり、土塁を築いたりしたのだろう?
これは立派な罪ではないか!」
「仕事をして金を貰ってどこが悪い。
その金で俺は家族と従業員を食わしていたんだ。
それにな、俺は軍のために働いたわけではない。
満州の国土をより良くするために、一生懸命働いたんだ。
俺が作った橋や堤防は、今後も残るだろう。
それは、君たちの国のためにもなるではないか!」
「だまれ!東洋鬼(トンヤンクイ)!!
お前が日本軍の手下であることは分かっているんだ。
お前は、この戦争に加担した戦争犯罪人だ!」
将校は机をたたいて怒鳴った。
室内に、重く沈黙した空気が覆う。
ミノルは腕を組み直し、静かにこう言った。
「俺は…、軍国主義者なんかではない」
「何?」
「それを証拠に、これを見てみろ」
ミノルは1通の古い手紙を取り出した。
それは二・ニ六事件で主戦派将校の凶弾に倒れた元首相、犬養毅からの
手紙だった。
「これは、犬養毅の手紙…」
「そぉだ。命を賭して日中融和を貫き、命を落とされた犬養先生の手紙だ。」
「宛て先は確かにヤスダミノルとある…。何故お前がこの手紙を?」
「俺は犬養先生と同郷なんだ。
若い頃は同郷のよしみで犬養先生に可愛がっていただいた。
俺は、犬養先生から日中友好・戦争反対の教えを受けている。
だから俺は、友邦・満…、いや中国の発展のために、
命を捨てる覚悟で満州の地にやってきた。
そりゃ確かに軍の仕事は受けたよ。
しかし俺は何も爆弾を作ったり、要塞を作ったりしたわけじゃない。
この国のために道を作り、橋をかけ、堤防を築いただけだ。
道路や橋は今後も変わらず残り続ける。
そしてそれらは、これからのこの国の発展に寄すると信じている」
「…。中日友好に尽力し、命をかけて軍部を説得しようとした犬養毅のことは
我々も敬愛している。先生の教えを受け、懇意に交際していたお前が
よもや軍国主義者であろうはずがないな。
よく分かった。ヤスダミノル、お前の帰国を許可する」
ミノルはにやりと笑った。
*
おとうさんが八路軍に連れて行かれたあと、
私たちは波止場に座り込んでいた。
おとうさんとはもう逢えないのか、
おとうさんがいなくなってわたしたちだけで日本に帰れるのか、
もう不安で不安でしょうがなかった。
そしたらなんと、おとうさんがテクテク歩いて帰ってきたんだ。
「何を泣いてるんだヒロコ。すぐに戻るって言ったろうが。
いやぁ、やっぱり犬養木堂の名はたいしたもんだ。
八路軍も兵隊も犬養先生の名前を出した途端に態度が変わった。
命拾いだったな。」
おとうさんは、連れて行かれるときと同じように笑ってた。
おとうさんは別に犬養毅の弟子だっただけじゃない。
土建屋が政治家の弟子になんかられるわけないからね。
昔おとうさんは、郷土の名士・犬養毅が持病を持っているという噂を聞いて、
よく効くと評判の漢方薬を送ったことがあったんだ。
そしたら、丁寧にも犬養毅から便箋2枚ほどのお礼状が来たんだよ。
気遣いありがとう、程度のことしか書いてなかったんだけど、
中国人は漢字の宛名は読めても、手紙の内容までは読めないからね。
おとうさんは土木の仕事で海千山千の交渉をしてきたから、
それぐらいの芝居を打つくらいわけなかったのさ。
その手紙はまだわたしの実家にあるはずだよ。
*
こうしてヤスダ家は、ついに引揚げ船に乗り込み、日本への帰途についた。